ウィーラウニーからの声: アトランタの森を守る、ストップ・コップ・シティの闘いをめぐる会話

アトランタの森を守る、ストップ・コップ・シティの闘いをめぐる会話

日本語版のための序文 (2025年3月)

2021年の秋、ジョージア州アトランタの政治エリートたちは、ある広大な都市林〔アーバンフォレスト〕に警察の軍事訓練施設をつくることを企てた。300エーカーの湿地と森をブルドーザーでならし、9000万ドルをかけて施設を建設するというこの計画は、2020年のジョージ・フロイド蜂起の戦闘的精神を受け継ごうとする地元の闘士たちによってただちに発覚し、スキャンダルとなった。かれらは、この10年間「アメリカ合衆国」でもっとも衝突を引き起こしてきた二つの闘争の形式───警察に対する闘争と、土地を守る闘争───を結合して、この計画に反対する多様なキャンペーンを開始した。

この闘いに賭けられているものは、はっきりしていた。破壊されようとしている森と湿地は、それ以外はひたすらに貧しい郊外の地域に残された唯一の緑地だったのである。乱伐すれば暴風雨の際に洪水が起こりやすくなり、広大な森が破壊されることで、猛暑の際に周囲の都市空間を冷やしていた機能もうしなわれる。もともとこの土地には、人種差別による暴力と収奪の記憶が何層にも積み重なっている。マスコギー族が「ウィーラウニー」と呼ぶこの土地は、先住民であったかれらが1830年代に強制排除されると奴隷プランテーションとなり、のちに監獄農場となる。長い間、地元警察は廃車になったスクールバスを置いて射撃訓練をおこない、近隣中に銃声を響かせていた。しかし同時に森は、こうした暴力の歴史を回復させてきた。草木が土壌を癒し、復活させることで、地域住民たちは自然とつながり、野生食物を採集し、運動し、パーティーもできる、気晴らしと避難の場所を手にしているのである。この運動のあるスローガンがいうように、「木々は命を与え、警察は命を奪う」のだ。

「ストップ・コップ・シティ、アトランタの森を守れ」の闘いは、アトランタと北米各地で激しい抵抗をくり広げ、世界中に連帯行動を引き起こしてきた。その論理は明快である。コップ・シティとは、2020年の警察に対する蜂起によって開かれた革命の扉を固く閉ざそうとする支配階級の試みであり、同時に、21世紀を特徴づける気候災害、戦争、緊縮財政にともなうであろう社会不安を見越して、新たな軍事的取り締まり〔ポリシング〕の体制をそなえた国家を準備しようとするものなのだ。コップ・シティに対する闘争の中心人物たちはそれを理解し、状況に立ち向かうためのしかるべき献身によって闘いにのぞんだ。ツリー・シッティング[木の上での座り込み]や森の中での野営、署名運動から、夜陰にまぎれての破壊活動、さらには白昼堂々とおこなわれた大規模な放火にいたるまで、この運動は国中の抗議活動の水準を引き上げていった。予想されたとおり、弾圧は過酷なものとなっている。大多数の公衆が計画に反対しているにもかかわらず、アトランタの政治家や資本家たちは、暗殺、中傷キャンペーン、テロ容疑の告発、ドクシング[個人情報をインターネット上で晒すこと]など、あらゆる弾圧の手段を駆使して、施設の建設に全力を注いでいる。

この文章は、コップ・シティの建設とたたかう数人の同志たちとの会話をまとめたものである。すべてのインタビューは2023年3月に実施された。警察が森の中の野営地を襲撃し、森を守っていたトルトゥギータという先住民を殺してから2ヶ月もたたない頃であり、迷彩服に身を包んだ300人が森を通って建設現場まで行進し、花火と火炎瓶で警察を追い払い、建設機器やシルトフェンスを破壊してふたたび森の中へ姿を消してからわずか数週間後の頃である。わたしたちが訪れたとき、音楽祭で逮捕された23人のほとんどは劣悪な環境下で収監されたままであり、地元のさまざまな運動が反弾圧活動に集中していた。わたしたちの会話は3回、それぞれ別の機会に異なる人びととおこなわれた。それらは微妙な差異を含みつつも、ある時点における闘争を部分的に凝縮している。テクスト全体にはっきりとあらわれているその思考の深さ、知覚の明晰さ、献身はもとより、とりわけ多忙で重圧のかかる局面にもかかわらず、時間を割いて共にじっくりと考えてくれた同志たち、受け入れてくれた人びとの寛大さに感謝したい。

このインタビューが完成してから現在までの間に、現地の状況は変わっている。コップ・シティの建設業者、資金提供者、保険会社への密かな破壊活動や攻撃が全米各地で継続する一方、アトランタの闘争の震源地は厳しい弾圧にさらされている。国内テロ容疑による弾圧につづいて、アトランタ連帯基金[逮捕された抗議活動の参加者に保釈金と弁護士費用を提供する基金]の主要な組織者たちは、恐喝共謀の容疑で家宅捜索を受け、逮捕、起訴された。2023年9月には検察当局が、マフィアや組織犯罪を取り締まるために特別につくられた法律である「威力脅迫及び腐敗組織に関する連邦法」(RICO法)により61人を起訴している。注目すべきは、告訴状が共同謀議の発端を2020年5月25日としていることである。これはジョージ・フロイドが警察に殺された日であり、この時点ではコップ・シティの計画は出されてすらいなかった(計画が明らかになるのは一年以上後である)。現在も100人以上が刑事訴訟に巻き込まれており、アトランタ地域の多数の活動家が家宅捜索をうけている。最近では、社会センターや家の外の電柱に目立つカメラがつぎつぎと設置されており、いたるところで運動が監視されているという感覚が強くなっている。計画にしたがってコップ・シティの建設はつづいているものの、反対運動の直接的な結果として、その予算は2000万ドル以上増加し、完成予定は数年延期された。さらに、全国で60以上の「コップ・シティ」型の警察訓練施設の計画が持ち上がっている。

コップ・シティとの闘争から学ぶべき教訓は数多くあるが、他の闘争にとって、とくに参考となる二つのことがある。第一にこの闘争は、合法主義的な要求や市民運動からはじまるのとは真逆に、破壊活動という超法規的な行動からはじまった。このことによって、後から闘争に参加した人びとも、この運動の戦闘的部分〔きわ〕を否定できなくなったのである。これは多くの運動が描く軌跡───合法主義や平和主義の枠組みに支配され、運動内の戦闘的な人びとが周縁化され、批判される───とは対照的である。第二にこの運動は、そのはじまりから異種混交と多様性を前提とし、最優先させた。参加するすべての組織が戦略と戦術に同意し、妥協によって意見の相違を抑えるような単一の連合体をつくろうとするのではなく、包括的な戦略によって実験と招待をうながした。こうした作風〔エートス〕の帰結として、多様な戦略と戦術が増殖し、闘争をしばしば破壊してしまう有害な内輪もめを回避しながら、子どもたちのデモや署名運動から、破壊活動、警察との戦闘にいたるまで、多様な闘争の生態系〔エコロジー〕が生みだされた。

この序文が翻訳され出版される頃には、現場の状況はふたたび変わっていることだろう。アトランタで当局が拡げたさまざまな弾圧の戦略───民主的な諸規範の停止、テロリズム容疑の適用範囲拡大、軍事的襲撃───は、権威主義の確立とともに全米に拡がっている。アトランタの闘争の教訓は、別の文脈のなかにいる闘士と革命家たちに知識と情報をもたらし、かれらを鼓舞しつづけるだろう。これらのインタビューが、アメリカの闘争にいくばくかの光をあて、新たな組織化の形式を生みだすきっかけとなり、われわれのあらゆる闘争が共有する賭金を理解するための一助となることを願って。

【Q】ウィーラウニーの森とコップ・シティをめぐる目下の闘争にふれる前に、みなさんの政治的な土台をつくったこれまでの闘争や文化的/歴史的な参照点について、そしてそれらがどのように現在に導いたかを話してもらえますか?

【ラファエル】まず自分にとって参照点ではないもの、それは北米におけるほぼすべての土地を守る闘争だと言っておきましょう。ここでこの〔コップ・シティに対する〕闘争に参加しているほとんどの人たちは、直接にはそうしたことに関わってこなかったと思います。わたしたちがそれらに反対しているという意味ではなくて、たんにここに引き入れられるバルブではなかった。この運動に関わっている多くの人たちにとってはそうだったのでしょうが、アトランタからの多くの参加者にとってはそうではないのです。わたしにとって、それに近いものとしては、90年代イギリスの道路建設反対闘争かな…。みんな頭の中では、スタンディング・ロックの規模でこの闘争に人を集めたいと考えているのでしょうが、わたしたちは、まったく異なった文脈にいます。わたしたちには、かれらがやったことはできません。祈りのキャンプを開いて、そこに12000人を集めるなんて無理です。[スタンディング・ロックは、ノースダコタ州とイリノイ州を結ぶ、石油パイプラインの建設に反対する闘争。全長1886kmの地下パイプラインの建設をめぐって、とりわけ先住民のスタンディング・ロック・スー族の水源や聖地の破壊が焦点となった]

【シェヘラザード】わたしは、2010年頃からたくさんの運動に関わってきました。オキュパイ・ウォールストリートが、はじめて参加した大きな運動でした。つぎに、後に「ブラック・ライヴズ・マター」とコード化されるようになる、全国的な反警察行動の波に加わりました。それらがもっとも大きくわたしを形成しています。わたしの年齢によるものですが、闘争における個人や小集団の役割に関する自分の感覚に強く影響したものは、おそらく2014年のファーガソンでの出来事以後にラディカルになった人たちとは違っています。かれらはたぶん、政治というものについて異なった考えをもっているでしょう。わたしは社会が極端に平和だった時期にラディカルになったように感じていて、そのことが自分の思想にも影響しています。同時に、わたしは自己や政治についての感覚を、ハードコア・パンクの枠組みの中で発展させてきました。市民/学生/政治組織や、大学システムといった、制度的なものへの参加を通してではなかった。

この運動について考えると、わたしが親しくしている多くの人たちの念頭には、フランスのZADがあります。また何人かにとっては、いくつかの事について、ハンティンドンの動物虐待阻止(SHAC)[ハンティンドン・ライフ・サイエンスの動物実験に反対する運動]が参照点になっています。わたしがラディカルな政治に関わりはじめた時には、その運動は潰されるところだったわけですが…。それから、じつは成田空港の闘争もすごく大きかったです。知り合いにも、YouTubeに上げられた日本の空港建設に反対する暴動のクレイジーなビデオを、ある時期ずっと見つづけていた人たちがいます。

Q】アトランタには、大きなハードコア/パンクのシーンがあるようですね?

【ラファエル】ほとんどの大学都市と同規模のハードコア・シーンがあります。ただ、アトランタは国内で8番目に大きい都市圏なので、活気があるとはいえ、街の大きさには見合っていません。インディアナ州のハモンドや、ミシシッピ州のハティスバーグほどではない…。とはいえ、この運動のもつ音楽的な面がシニカルに形成されたものでないことはたしかです。活動家がポーズでやっているわけじゃない。実際に、わたしたちのほとんどがなんらかのDIY音楽文化を経由しています。おそらく大多数はハードコアですが、他のジャンルの音楽だった人たちもいるでしょう。わたしは大衆社会が、なにかを届けられる全体としてあるとは思いません。ただ、さまざまなアルゴリズムの切片に接触することは可能で、わたしたちの波長が継続してなにかを届けられるのが、DIYや音楽のサブカルチャーに関わっている人びとだということです。

Q】それは遠くからアトランタを見ていてもはっきりとわかります。ここで起こっていることについて、いつでもどこでも人びとが口にするのは、アトランタの運動の際立った点が「喜びの中心性」にあるということです。そしてその喜びへの主要な入口は音楽のようである。それがこの運動の誰もが知る評判です。

先ほどの大衆社会批判を聞いて、ある日本の友人のことを思い出しました。かれは、かれが「住まうものたちの闘争」〔住民運動〕と呼ぶ、固有の場所に根ざした、分子的闘争を調査しています。それは大規模な社会運動とは異なるものです。日本では60年代の終わりに、広範な社会運動の崩壊が起こりました。それは政治的な内部抗争のためであり、左翼が対立するセクト間の殺人や拷問などの暴力によって、みずからを食い尽くしてしまったことによるものです。しかしそれと同時に、現場に根ざした、極端にローカルな闘争が成長していきました。成田空港の建設、村落の開発、あるいは水俣の水銀汚染をめぐる闘争などで、それらは、政治的イデオロギーよりも、人びとが生きるために必要な生業〔なりわい〕や経験と結びついていました。そのこともあって、わたしにとっても参照点である成田空港反対闘争に、あなたが触れたことが興味深かったです。

わたしたちは、あらゆる場所でじつに多くの運動を飲み込んでいる、左翼や「目覚め文化」〔ウォーク・カルチャー〕のさまざまな落とし穴を、あなたたちが何とか回避している様に、遠くから驚かされつづけてきました。その経験はどのようなもので、そしてそれをどのようにして成し遂げてきたのでしょうか?それは意識的なものだったのでしょうか?ここにはわたしたちが紐解こうとしている、興味深い緊張関係があります。「住民運動」について調べている日本の友人の関心は、参加者たちがかならずしも「政治的」でないにもかかわらず、困窮化や生存が脅かされるといった、みずからの直接的な経験に結びついた戦闘性(militancy)を培っていったところにあります。それこそが、それらの闘争が左翼に飲み込まれることを回避させてきたと、かれなら言うかもしれません。しかしみなさんは、きわめて自発的(voluntaristic)な闘争を実現しているようにみえます。みなさんはこの闘争が何であるのかを決定し、それを中心に構築しつつ…、さらに左翼にも乗っ取られていない。

【マイラ】いまの問いかけを聞いてまず頭に浮かんだのは、何年ものあいだ、わたしがなにか政治的なものに足を踏みこむときはいつも、左翼に極端に嫌われ、排除されてきたことです。そこから大局的には左翼と力を合わせることは不可能であり、それでもとにかく行動せざるをませんでした。いつからか、とくにこの運動について思うのは、この運動は左翼を満足させようとするところから組織化されているのではなく、その他の人びとが参加できて、また参加することを励ますものだということです。

【バド】そのひとつの側面として、この運動のすごく積極的な参加者たちが、いくつかの参加組織も含めて、どのようにしてこの運動がはじまったかを強く自覚していることが挙げられると思う。かれらはこの運動が発展し成長することを可能にしたやり方を見てきた。だからこそ、さまざまなことが抑えられてきた…。もし左翼が、この運動のはじまりについて異なる語りをつくりだそうとしていたら、そこからおかしくなっていっただろう。しかしかれらはそうしなかった。それは、わたしたちの誰もが、自分たちが勝ちつつあると本当に実感しているからだと思う。「外からの分断VS内部のコミュニケーション」にならないのは、それが運動を破壊することを人びとが分かっているから。

【シェヘラザード】つけ加えると、じつはある時点で、かなり初期に、それは起こりました。2021年の夏の終わりから秋にかけて、野営行動が始まる前のことです。その頃、いくつかの破壊活動はありましたが、誰もが参加できるような行動はありませんでした。一方で左翼は連合体をつくり、わたしたち全員をほとんどの現場から排除する組織的な主導権を打ちたてたのです。それによって、アイデンティティ・ポリティクスのスローガンである「それぞれの立場」にしたがって人びとを動員するような連合の政治〔コアリショナル・ポリティクス〕が推しすすめられました。さまざまなグループがあり、それらが各々の経験をつなげることで、すべての人びとの経験が包含されるとされたのです。いくつかの学生グループ、黒人女性グループ、LGBTQグループをはじめとして、あらゆるグループがあらわれ、それらはすべて最も抑圧された人々の周りに、擬似的ヒエラルキーをつくるように組織化されていました。そして3ヶ月後に、それらのグループはたがいを破滅させてしまったのです。この顛末について、それぞれのグループはあらゆる語り方をしているわけですが、そこには一様にDSA(アメリカ民主社会主義者)を非難するという傾向があります。DSAはこの連合の中でもっとも有力なグループだったのですが、かれらは決して譲歩することがありませんでした。それはこの連合の組織化の方法の問題で、かれらは人びとをいいように利用しなければならず、そしてその人びともまた、かれらを利用しようとしたからにほかなりません。すべてのグループが、わたしの知るかぎり、運動を辞めました。市議会でコップ・シティの建設が可決された後のことです。よし、2年後にこの議員たちを投票で追い出してやる、といった感じで。

つまりこの運動は、6ヶ月の間に、ファーマーズ・マーケットの面々やアナキスト、DIYサブカルチャー界隈の人びとから左翼連合体の手にわたり、また元に戻ったわけです。そしてそれ以来、運動内部でたくさんの話し合いをするという考え方が抑えられてきたと思います。全員とつながるという考え方、たとえば「誰もが同じ部屋にともにいるとき、われわれはより強くなる」とか、「わざわざ自分たちで一からつくるのはやめよう」───こういったことを人びとは言わなくなりました。間違っているからです。人びとはたくさんの不要な作業をしていて、人びとは同じようなことを微妙に違うやり方でしていて、他のグループがしていることを知りません…。でもそれによって、かれらは自分たちが大嫌いな人びとを無視することができるわけです。自分たちが信用していない人たちのことを知らなくてすむ。これはさまざまな行動〔アクション〕の形式を展開しえなくなることを意味しています。それでも、わたしの考えでは、これこそが運動に息の長さを与えているのです。多かれ少なかれ不満を持ち合っている人びとが、たんにたがいの距離をおくことができる。もちろん、こうした「内部の力学」のために、この運動が損なわれてきたと考えている人たちが何百といることはよく知っています…。その人たちが正しいのかもしれません。わたしには分からない。わたしはかれらの意見を聞く必要はないし、かれらもまたわたしの意見を聞く必要はない。これがわたしは好きなんです。

【ラファエル】アトランタの左翼のより大きな文脈をつけ加えると、まずジョージア州は、歴史的に労働組合の組織率が高くありません。現在は労働者人口全体の5%以下で、公共部門の労働者においても組合への加入率は5%を下回っています。これまでとくに高かったこともありません。かつては政治化されたプロレタリアだったと振り返ることのできる小集団もいない。ここには存在しないのです。さらにここでは、NGOの支援を受ける制度的左翼も信じられないほどに脆弱です。2016年以降はブラック・ライヴズ・マターの資金も底をつき、オークランドやニューヨーク、シカゴで職を見つけることのできた人びとはここを去りました。残った人たちは再びゲットーに戻され、そのうちの何人かは警察の暴力で殺されています。

それ以来、わたしに言わせれば、実質的に左翼はここにいません。DSAがありますが、これは気質のよくない、下層化した白人の若者たちからなるボランティア組織にすぎません。黒人の政治団体職員も少数存在しますが、かれらはある恩顧主義的構造───地元の黒人ブルジョアジーが企業社会の白人エリートと手を組みつくった───の部分なのです…。だからかれらには支持基盤がない。わたしの住んでいる選挙区から市議会に出たジョイ・シェパードは、コップ・シティー法案を提出した人物ですが、議席を失いました。運動の内部には、彼女がコップ・シティーを推進したせいだと言う人たちもいます。しかし実際には、たんに彼女の対抗馬がこの地区の出身で、地元の富裕層と関係がよいからなのです。

これらのことは端的に、いかに左翼が弱いかを示しています。しかし他方で、わたしが共に組織化している人たちがいて、わたしたちは10年にわたって、ある水準の一貫性を保ってやってきました。また、公式の組織ではあるものの、NGOマネーを受けとっていない、自律的組織の左翼もいます。それらの内のいくつかはこの運動に長く関わっていて、時の試練に耐え、くり返される闘争と休止のサイクルをくぐり抜けてきました。わたしたちとかれらこそが、時の試練に耐えることができたのです。制度的左翼は、何ほどのものでもなく、それができていません。だから闘争が動き出せば、わたしたちの勢力がもっとも重要となるのは当然なのです。

【シェヘラザード】おそらく、この運動は有害すぎる、あるいは人種差別主義的であると考えている人は、数千人にのぼるでしょう。ある人物がポッドキャストに登場し、こう言っていました。「コップ・シティーに抗する闘争は、人種差別主義を内在化していて、コップ・シティーそのものより忌々しい」。警察財団の耳にはさぞかし心地よく響いたに違いありません。あらゆる類のばかばかしいことを考えつく人たちがいるのです。この国のいたる所に、曖昧なことについて陰謀論を持ちだすアナキストが山ほどいます。この闘争に参加しないための言い訳を探しているのです。この闘争はあまりに参加しやすいために、こうした語りがはびこるのでしょう。そうせずにいられない人たちがたくさんいるのだと思います。この闘争には、ゲートキーピング[情報が拡散される際の管理]があまりありません。それの悪い点は、人びとが自分たちの信じていることを変えずにすんでしまうことです。しかしだからこそ、それが何であれ、自分たちが信じていることだけを考え、自分たちが賭けていると考えるもののために闘うことができるのです。

【マイラ】多くの都市で、左翼がいなければ人びとは無力で何もできないという感覚が共有されていると思います。しかしこれまで語られてきた歴史が示すように、闘争と小休止の長い時間をともに過ごしてきた人びとの集団であること、そのことが左翼に頼らずともできるという自信を与えてくれるのです。批判はかならず起こります。そのほとんどは話に出すまでもないものです。しかし、深く心に刻まれる批判もあります。それは左翼の道徳主義的立場からのものではなく、むしろ、そこにいる人たちが何度も経験していて、むかついているようなことです。だから人びとは話しあって、本当に問題となっていることをうまく解決しようとします。しかしそれは道徳的な立場からの解決ではありません…。つまり、あの人がむかついている、そして自分はあの人がむかついているということにむかついている、だからそれをなんとかしたい、みたいな。

Q】すごく興味深いです。つまりより個人的で、現実的なレベルの問題だということですね。インターネット上の党派的抗争ではなく、人びとは実際に話し合って…

【シェヘラザード】あるいは、たがいに無視して…

Q】運動が大きいから、文字どおり人びとを無視することができる。

【シェヘラザード】つけ加えたいのは、この運動の人たちが、とても力強い、独立した黒人政治〔ブラック・ポリティクス〕の参加をうながそうと尽力してきたことです。これまでは反弾圧の活動家たちが、ある領域の言説を過度に規定してきたわけですが、この黒人政治はそれをしのぐ力をもっています。このことは過小評価できません。わたしの考えでは、「ポスト・ブラック・ナショナリスト」と呼びたい集団───この運動内の黒人だけで構成されているすべてのグループ───の参加が重要でした。たとえばかれらは「マイクロアグレッション」という言葉を使いません。それはかれらの人種差別の理解のうちにはない。かれらの「力(power)」の概念は、個人の姿勢や行動ではなく、構造的な要因と歴史に基礎をおくものです。人びとが苦心してこうした視点をつくりあげたことは、「目覚め」、大学の助成を受けている、ポスト・ジュディス・バトラー的なアイデンティティ・ポリティクス左派にとって脅威でしょう。ここにいる全員にとって、すべての黒人グループの努力と貢献がなければ、事態はずっとひどくなっていたはずです。さまざまなものが喰い潰されていたでしょう。「そう、たしかに白人たちは、自分たちに対してどこか変だ…」というように思っているグループがあるのは事実です。とはいえかれらは、黒人の自己決定がなければ物事はなにひとつ改善しないという前提から出発しているので、あまりこだわってはいない…

【ラファエル】そのとおりです。「行動週間」以降、わたしは各地から訪れた人びとに、アボリショニスト(abolitionist)よりもブラック・ナショナリストの流れから来ている人たちと一緒にやる方がはるかによいと話すようにしてきました。それは正しかったわけですね。あなたがいま言ったとおりなのですが、つけ加えると、現在はブラック・ナショナリズムの中に蜂起的立場はないものの、界隈では、ブラック・ナショナリズム内の蜂起的路線にのって刑務所に入った人たちへの積極的な支援がいまでもおこなわれています。そしてそのことがかれらの気分をよくしているのは間違いないと思うのです。「ああ、まあね───そういうことするのはたいてい白人のガキたちだよな。いいんじゃないか。こっちはそれ以上の「気狂い沙汰」起こしたやつら支えてるんだよ!」。一方で、アボリショニストの政治はそこからは完全に乖離していますし、さらに学界やNGO由来のものとなると、蜂起的路線は皆無になります。

Q】それがブラック・ナショナリズムとアボリションという二つの潮流の間の主要な差異ということですね?

B】「アボリショニズム」は、最初のブラック・ライヴズ・マターのときに甦った言葉じゃなかった?

【ラファエル】いや、それは90年代の「クリティカル・レジスタンス」[産獄複合体の廃絶を目的とする運動/組織]から来ています。

【シェヘラザード】わたしの考えでは、今日の世界で「アボリショニズム」が意味しているのは本質的に制度的なアプローチであり、貧しい人びとの自発的活動の代わりに政策改革をするということです。それは、警察の予算は取り消せるし、絶対的下限法[酌量なしで特定の長さの懲役刑が必ず課される法]は廃止できるし、そうした改革は可能だという考えにほかなりません。動乱が起こらずとも、存在を人種で分けていくような監獄国家の諸要素を手直しすることはできる。それによって、かれらの神話によれば、蜂起的な活動は起こりやすくなり、機能しやすくなり、継続しやすくなり、そういったことが続いていく。実際のところ、これはそのもっともラディカルなバージョンで、ジョイ・ジェイムスのような人たちが───最大限に好意的に読めば───言っていることなのでしょう。こうした考え方は、いかなる歴史的系譜からも分離していると思います。その自己理解において、南北戦争までさかのぼるアボリショニズムとは断絶しているのです。

【ラファエル】他方でブラック・ナショナリズムには、その核心において、合衆国は根本的に自分たちのための国ではないという認識があります。そしてかれらは何か別のものを必要としている。これは改良主義的な立場ではありません。わたしが完全には同意できないものだとしても、それは革命的な立場です。

Q】いま話しているトピックに関連していて、そしてタイムリーな話題なので聞きたいのですが、アンジェラ・デイヴィスについて、そして彼女がアトランタに来たことについてコメントしてもらえますか?

【シェヘラザード】アンジェラ・デイヴィスは、彼女の長年の同志であるジョイ・ジェイムズが明らかにしたように、CIAの工作員であるグロリア・スタイネムを介して、資金確保のために、90年代のはじめからおわりまでCIAと協働していました。アンジェラは、CIAからクリティカル・レジスタンスへの資金流入に自分が手を貸していることを知っていた。クリティカル・レジスタンスは、南北戦争以降のアボリショニズムの枠組みを、現代にはじめて普及させた組織だといえるでしょう。それからヒューイ・ニュートンが刑務所にいる間、ブラック·パンサー党の議長だったエレイン・ブラウンについてですが…、彼女はFBIの工作員とつきあっていて、このことを知っていました。彼女は『権力の味』*A Taste of Power *という自伝を書いていますが、それについては触れていません。その本にはアンジェラ・デイヴィスが序文を寄せていますが、そこでもこのことには触れていません。彼女はその本の講演旅行もしていますが、過去のパンサーたちも含め、資金流入の件を持ち出すであろう人びとが参加できないように阻みました。ジョイジェイムズは、2020年に出版された「アボリションのために革命を粉飾すること」[“]{dir=“rtl”}Airbrushing Revolution for the Sake of Abolition” と題された文章で、そのことを明らかにしています。これらはすべて、じつに重大なことであり、その背景を理解することが大切です。アンジェラ・デイヴィスは、ブラック・パワーの声として、さまざまな機関から高く持ち上げられているからです。彼女は一度たりともブラック・パンサー党の党員だったことはありません。そしてブラック・パワーの主導的知識人なるものは、実際にはいつもそうだったように、虚像でしかありません。ヒューイ・ニュートンの文章が議論され、広められることはありません。エルドリッジ・クリーヴァーの文章が議論され、広められることはありません。ジョージ・ジャクソンの文章が議論され、広められることはありません。そして実は、アンジェラ·デイヴィスがこれらすべての版権を所有しているのです───

Q】嘘だろ!?

【シェヘラザード】そうなんです。このことについてはいくらでも話せるのですが、2020年に〔ジョージ·フロイド〕反乱が起こった時、いくつもの怪しげなFacebookのページが、読むべき本として『監獄ビジネス』*Are Prisons Obsolete? *を売り込みはじめました。しかし幸いにも、ジョイ・ジェイムズが、彼女の長年の同志についての文章を書いたことで、ある種の歯止めがかかりました。それで、よりすぐれた本である、ジョージ・ジャクソンの『わたしの目の中の血』*Blood in My Eye *が幅広く読まれるようになったのだと思います。アンジェラ・デイヴィスが絶対的な敵のようなものだとは思いません。嫌悪すべき人物リストのなかで、彼女はかなり下位にいます。しかし、ブラック・パワーの記憶を象徴する組織における彼女の存在感については、何かとても奇怪なものがあります。運動の前衛である、ブラック・パンサー党の党員だったことは一度もない人物なのですから。

それでとにかく、彼女はアトランタに来ました。それは8人が音楽祭に参加したことで逮捕され、保釈を却下され、3人がそれ以前の逮捕で拘留されたままで、かれら全員に「国内テロリズム」の容疑がかけられている時のことです。そうしたなか、コップ・シティーを中止できる権限をもちながら、それを拒否してきた市議会が、3月24日を「アンジェラ・デイヴィスの日」として制定しました。そのために彼女はやって来て、その名誉を受けたのです。アトランタの政治、そして合衆国の政治一般が、どのように機能しているか理解することが重要だと思います。それはあきらかに、黒い顔を白い企業の権力構造に与える、恩顧主義的な人種差別国家システムの部分だからです。これはそのシステムの深いレベルにある、とても奇妙なことなのですが、彼女はこの時、コップ・シティや、それに関するいかなることにも触れませんでした。しかし式典が終わろうとする時、聴衆たちが「ストップ・コップ・シティ」と唱和しはじめたのです。それ以来、彼女はできるかぎり生ぬるいやり方で、コップ・シティに触れるようになりました。たとえば、警察官に銃の使い方を教えるから、自分は反対である、といった具合に。そして本質的に民主党の提灯持ちである彼女は、かれらの思いどおりになるような、まさに政策に配慮した批判を展開したのです。[1]{.underline}^

【ラファエル】彼女はその声明文においてすら、11人がいまだに拘留されていることに触れませんでした。文脈として知ってほしいのですが、彼女の講演料は数万ドルです。終身雇用の大学教授で、おそらく70代前半でしょうか。合衆国の上位1%の所得層に余裕で入っています。彼女の階級的地位は明白です。さらに、彼女を有名にし、FBIの指名手配リストの筆頭にしたことにおいて、彼女がやったことはありません。それは彼女のボディガードだったジョージ·ジャクソンの弟ジョナサンがやったこと───兄を刑務所から解放しようという、英雄的であったものの失敗した試み───にほかなりません。彼女は自分を守らせるために、16歳のジョナサンに銃を渡したと言われています。それが彼女を運動の顔にしたわけです。彼女は何もしていません。彼女の周りの人たちがやったことなのです。

Q】まったく知りませんでした。

【ラファエル】彼女の博士論文は死ぬほど退屈です。ラディカルですらなく、ヘーゲルについてのたわごとにすぎない。

【シェヘラザード】わたしもあれは、アトランタ市政による過去への侮辱だと受けとっています。クワメ・トゥーレ、旧姓ストークリー・カーマイケルはここの出身です。ジャミル・アルーアミン、旧姓H.ラップ・ブラウンもそうで、かれはまだ服役しています。かれらはここの出身なのです。かれらは実際に、組織されたブラック・パワーの部分でした。しかしかれらの日はありません。ここの出身ではなく、アラバマ出身であるアンジェラ・デイヴィスの日はあります。わたしはこれは奇妙な侮辱だと思うのです。

Q】それはひどい。わたしも映像でその場面を見ましたが、なんというか、本当に不愉快でした。

このあたりで、準備してきた他の質問リストに移らねばなりません。日々の活動のことに戻りましょう。みなさんはこの闘争に本当に熱心に関わってきたわけですが、どのような日常生活を送っていますか?生活手段、宿泊場所、安全の確保、衝突などについて…、この闘争のなかで生きるというのは、実際どのようなことなのでしょうか?

【ラファエル】いまここにいるみんなは合衆国ではかなりの低所得層に入ります。わたしはミレニアル世代の下層化した白人です。わたしはなるべく働かずにできるだけたくさんのことをしようとしていて、結果としていい暮らしができています。政治的闘争にたくさん関わって、DIY文化に参加して、そしてみんなと一緒にだらだら過ごすことができています。

Q】一緒にだらだら過ごすことも、ここをつくっているのですね。出会いとおしゃべりが、友情と信頼関係を生みだす。

【ラファエル】そうです。

【マイラ】フルタイムの仕事をしている人はほとんどいません。している友人も何人かはいますが、大半の仲間たちはそうした構造の中で生きていない。わたしは4ヶ月間フルタイムで働いたことがありますが、本当にひどいものでした。

【ラファエル】人間ではなくなる。

Q】どんな仕事をしていたのですか?

【マイラ】ツリーハウスを建ててていました。かなり気まずかったです。この森に最初のツリーハウスがつくられていた時だったので。わたしは北アトランタの豪邸の裏庭で、時給18ドルでツリーハウスを建てていました。それは3歳児のための、3万ドルのツリーハウスでした。わたしはその8分の1、いや10分の1の値段の車すら持ったことがない。

(爆笑)

S】アトランタでの生活は、わたしが大人になってから、最小限の仕事で暮らすことのできるもっとも長い期間となっています。それは同志たちが家を持っていて、寛大にもそこに滞在させてくれたおかげでもあります。森で暮らすことができたときは時々そうしてましたし、友人からバスを買って、友人の家の脇に停めていたこともあります。人びとが共にある生をつくりあげてきた森と都市とを行き来することができたから、基本的には週3時間くらい働いて、ほとんどの自分の時間を運動と音楽に費やすことができたのです。

Q】ここでは、生活費の高騰はどのような感じでしょうか?

【ラファエル】アトランタでは昨年18%のインフレがありました。これは全国のどの大都市よりも高い数字です。家賃だけでなく、全般的に物価が上がっています。

【シェヘラザード】いまアトランタでは生活費の急速な高騰にみまわれています。ジェントリフィケーションという用語が使われますが、これは別の段階でおこなわれる都市の再開発───グローバルサウスをも含む、地球上のあらゆる住宅密集地区の地価が高くなっていくこと───を表すものだと思います。いまは違うことが起こっていて、それはジェントリフィケーションではなく、実際には「資本化」だと思うのです。巨大産業を担う人びとが市場の不安定性を恐れて、労働を搾取してカネを儲けることから手を引き、より安定した投資として、たんにより多くのレントを採取しようとしている。話が大きくずれていますが、問題は密接に関連していると感じていて、これはまさに、なぜエコロジカルな関心が先鋭化し、ますます社会的性格を帯びるようになっているのかを説明しています。以前は一部の農家だけに影響を及ぼしていたであろうことが、いまでは住宅地の区画全体に───あるいは町の、都市の、大都市の、巨大都市圏の諸地域に───影響を及ぼしているのです。これは新しいパラダイムであり、より多くの闘争が、土地や川や分水嶺のような、市場が不動産とみなすものに関わる物事に対応しなければならなくなると思います。

【ラファエル】わたしたちの都市は、貧困層あるいは準貧困層の大部分を郊外に移住させたような、いくつかの沿岸都市とは違います。アトランタの人口の20%以上が貧困線を下回っています。統計は知りませんが、おそらくさらに20%の人口が、1万2500ドル~3万ドルの年収で暮らしているはずです。また多くの貧困層を抱えながらも、社会民主主義や福祉国家のような装いをもちつづけている、他のいくつかの沿岸都市とも異なります。ここの人びとは、じつにさまざまな点で絶望的な状態にあります。おそらく何万人もの若年~中年層の黒人および白人男性が、ある時は建設労働をやり、またある時はドラッグを売ったりして暮らしているのです。

【シェヘラザード】指摘しておきたいことがあるのですが、草の根左翼、あるいは左翼が組織化した構造や運動をとおして、組織化を深く教え込まれてきた人たちがいます。かれらを代表して語ることはできませんが、わたしたちは、活動家のキャンペーンにつきまとう「義務化された緊急の要請」をなんとか避けようと苦心してきました。闘争がはじまったとき、わたしたちはこれは長期に及ぶだろうということをずいぶん話し合いました。わたしの親しい人たちのなかに、朝から晩まで毎日ハードな作業を、あるいは決まりきった作業をしている人はすくないと思います。もちろん、ただ楽しいことだけではありません。わたしたちは犠牲を払ってもいます。わたしも、いつも楽しいわけではない作業、労働集約的な作業をよくしています。週のうち数日、場合によっては毎日2~3時間というときもあります。とはいえ、ずっと続く苦行ではないし、まったく楽しくないわけでもない。わたしはおそらく、ある人たちからすれば、ずるい奴なのでしょう。わたしのように作業している人たちは何百人もいて、しかしそれが可能なのは、きつい作業を絶え間なくこつこつやりつづけている一握りの人たちがいるからです。おそらくそれが真実なのだと思います。そうですね、とくに囚人支援の人たちとか。

【マイラ】とはいえ、組織化の構造から、あるいは進行中のどんなことからも、出たり入ったりできる余裕はおおいにあります。そこにいることもできるし、いないこともできる。人びとは休暇に出かけて、一息ついて、また戻ってきて、自分の役割を理解して、自分が楽しめることをしています。

S】うん。わたしは2020年以前に、活動家左翼をとおして組織化を教え込まれました。やがてわたしはそれにひどく幻滅して、それがでたらめであったことを理解し、それからここにきて、物事が形式ばらないことに感化されたのです。ときにはひどく疲れることもあります。いまはただたむろしているのか、それとも会議をしているのか?みたいなことがあるからです。しかし、それが創造性を高めることにもつながっています。自分が接続したいことを理解し、いつ接続したいのかを理解し、そして自分のリズムにしたがうことができる。なにかに本当に集中したいときもあれば、翌月には町を出てなにもしないということもあるでしょう。

B】わたしはこの闘争の前からアトランタの人たちと交流がありましたが、ここに移ってきた主な理由は、この闘争がはじまったからです。わたしの作業/生活のバランスは、ここで他の企画に関わっている人たちとは、すこし異なっている感じがします。わたしの毎日は、溜まっているやらなければいけないことをのぞけば、自分が何をするのか分からずにはじまります。しかし一日中、本当にたくさんの人たちがわたしのところに頼みごとにくるので、その中から、わたしがしたいことを少しずつこなすのです。わたしは自主的に、みずからの自律性や自由意志による選択のある部分を渡して、流れに身をまかせているだけという感じがしています。それはわたしが持っている資源によるものです。トラックを借りているので、わたしがすることの多くは、トラックがしなければならないことに規定されます。しかしそれでも十分に柔軟性があるように、わたしは感じています。というのも、本当にさまざまなことをやりたい人たちがたくさんいるので、自分がしたいことをはっきりと具体的に理解して、他の人たちのプロジェクトの手伝いを頼まれてもほとんどはきっぱりと断れるように、存在のあり方を変えることができるからです。たとえば、「いやあ、来週は運転ストライキに入るから。他のことをするんだ。鍵を渡すね」というような自分でいられるのです。

Q】囚人支援のインフラについて話してもらえますか?

【ラファエル】この運動は、その強固な反弾圧のインフラがなければ分解していたでしょう。ここでは保釈金はじつに高額です。保釈金は刑務所から出るために国家に支払う身代金にほかなりません。連邦犯罪[州法ではなく、連邦法によって裁かれる犯罪]でなければ、質の高い国選弁護人はつかないので、弁護士を雇わねばなりません。刑務所にすこしでも入るのであれば、いいものを買うために、刑務所の売店で使うお金が必要になります。

【マイラ】長袖のシャツとか。

【ラファエル】そう。それから24時間年中無休の監獄支援ホットラインがあって、献身的な人びとが交代で電話番をしています。このインフラは、しばらく非公式に存在していたのですが、2016年の反人種差別行動に向けて正式に制度化されました。2020年まではおよそ2万ドルの資金で運営されていたのですが、その年の「蜂起」〔ジョージ・フロイド蜂起〕の最初の二週間で、全米各地のたくさんの監獄支援基金とともに劇的に拡散され、十分なお金が集まりました。すでに公にされているので、言ってしまうと…、350万ドル近く。

Q】ええ?!

【ラファエル】これは少ないほうです。ミネソタ・フリーダム基金は、保釈を手伝うだけで、弁護士やその他の援助はしないのですが、4000万ドルを手に入れました。ともかく、いま話したことに加えて、2020年にアトランタでは900人が逮捕されたので、このインフラを大規模に拡げなければなりませんでした。わたしや多くの人たちにとって、この監獄支援の仕事はあまりに官僚的でつらいものです。とはいえ、このインフラはなすべき役割をはたしていて、その報われない作業に、わたしたちの多くができる時に、そして何人かの献身的な人びとは休むことなく参加しています。

【マイラ】人によっては、それがこの闘争に参加する方法なのです。監獄支援をしている多くの人たちからすれば、普段していることにすぎません。多くの点で本当に報われない作業ですが、かれらにとっては、闘争のためにしたいことをしているだけなのです。すごいと思います。

Q】どなたか、弾圧についてもっと話してもらえませんか?国内テロリズム罪や、その容疑者が12月に急増したこと、そしてあの殺人について、文脈を共有させてください。

【シェヘラザード】弾圧そのものについては他の人に話してもらいたいのですが、わたしがすごく言いたいのは、弾圧は闘争の部分であることを、運動の宿命として認識すべきだということです。このことは歴史的に、多くの反権威主義の政治において忘れられてきました。弾圧は闘争の外側にあるものではない。本当に賢ければ弾圧は避けられるというような、起こるけど避けられるというものではないのです。人びとは、とにかく用心深くあれば、あるいは本当に賢明であれば、それを避けられると考えていると思います。こうした力学が、20世紀の、あるいはおそらくもっと前から、運動内部に大きなあつれきを生んできました。しかし実のところ、弾圧の形式は、抵抗の形式をもとにつくられています。そしてどちらも不変で、さらにいえば、歴史の動力なのです。これまで起こった善いことと悪いことのすべては、幸福についての、相反する理念の間の闘争であり、そしてそれらはたがいを構造化しています。弾圧がくると考えないのであれば、それは自分が関わっている運動を十分には理解していないということです。そしてその弾圧がどのようなものになるかをモデル化できないなら、それは片目を閉じて活動しているようなものです。このことを理解するのは本当に重要だと感じています。というのも、運動に関わる多くの人びとが、弾圧があるたびになにか失敗があったからだろうと考えてしまったり、十分に賢明であれば反動は起こらなかっただろうと考えてしまうからです。しかしわたしに言わせれば、それはナイーブで、どのように世界が変わりうるのかについて、政治的な理念をまだ持てていないということに他なりません。それはみずからに戦いを仕掛けてくる者はいないという希望にもとづいた理念しか持っていないということなのです。

【マイラ】ちょっと聞いてみたいのだけど、はじめて「国内テロリズム」容疑のことを聞いた時、驚きましたか?どう思いました?

【シェヘラザード】すごく時間がかかったことに、とても驚きました。もっと早く容疑をかけられるだろうと思っていたので。

S】わたしたちが「国内テロリスト」と呼ばれはじめたのは、2022年の春でした。

【シェヘラザード】2022年5月21日ですね。一般には。

【ラファエル】文脈を明確にすると、ストップ・コップ・シティ運動で出た逮捕者は90人あまりで、その内の18人は起訴を取り下げられました。41人が国内テロ容疑で検挙され、その中の1人は、2つの事件に関与したとされています。しかし、たとえば、ある経営者の教会でビラ撒きをしたとされた人がいます。その人は国内テロ容疑で告発されたわけではありません。国内テロ容疑での逮捕がはじまる前のことでした。にもかかわらず、裁判がはじまると、検察官は弁護士に、その人物はテロ組織のメンバーだと言ったのです。ばかげたことです。

Q】理不尽ですね。

S】それは、かれらが話をでっちあげて、自分たちの過剰な実力行使、過剰な暴力の正当化をはじめた頃でした。その筋書きは、作業用トラックに石を投げた人が、そのトラックに銃を撃ったという、かなり怪しいものです。そのあたりに散らばっていた薬莢を証拠として使い、この話をあらゆる報道機関に流しました。

【ラファエル】地域の管理組合会長のボールダー・ウォークは、コップ・シティーの建設について市長に助言をする特別委員会のメンバーですが、かれこそが記者会見をおこない、この話をでっちあげた人物です。

Q】そしてこのことが41名の国内テロリズム容疑につながったと…

【マイラ】はじめは6人で、一斉検挙でした。それ以前にも、さまざまなデモや森の中で、およそ40人が逮捕されていましたが、弾圧が本当にエスカレートしたのは、この2022年12月の強制捜査からです。12月13日に急襲があり、警察はいろいろなものを破壊して6人を逮捕しました。最初の日に5人、次の日に1人、強制捜査は二日にわたりました。逮捕者たちはみな、国内テロを含む、7件から9件の容疑をかけられました。ただかれらは保釈されましたし、保釈金も1万2000ドルから4万ドルと、さほど高額ではなかった。

S】保釈は抗告の後だよ。最初は保釈が却下されて、自分はすごくショックだった。それまでこの運動で、保釈が却下されたことはなかったから。

【マイラ】そうでした。それからまた別の強制捜査が1月にありました。その間に、人びとは森に戻っていきました。より大きなインフラが建設されて、大晦日には、お祝いの巨大なレイヴパーティーが開かれました。それで、あの日は1月の何日だった?

【シェへラザード】1月18日。

【マイラ】1月18日───、待って、もっと早くなかった?

【シェヘラザード】トルトゥ[ウィーラウニーの森で、警察に十数発の発砲を受けて殺害されたトルトゥギータの愛称]が殺された日。

B】18日。

【マイラ】そうでした。その日に森に強制捜査が入り、そしてわたしたちの友が殺されたのです。さらにかれらは襲撃をつづけて、6人を逮捕し、その翌朝に、一晩中木に登っていた仲間を取り押さえて、逮捕者は7人になりました。12月前にも強制捜査は何回かありましたが、それらはまだ…。この1月の強制捜査でも、国内テロリズム容疑での検挙はつづきました。さらにその後、1月21日におこなわれた抗議行動で、もう6人が逮捕されます。かれらもまた、いくつもの容疑をかけられたのですが、このとき保釈金が最高額になりました。二人は保釈金を確保できたけど、他の四人はダメだった。その二人の保釈金は、それぞれ35万5000ドルでしたが、手数料などの経費をくわえると、ほぼ40万ドルになります。

【ラファエル】全額を払うことができれば、裁判が終わった時点で、そのお金は返ってくることにはなっています。すべてが終わるには何年もかかるわけですが。あるいは、「保釈保障業者」を通すこともできます。その場合は、かれらに保釈金の10%くらいを前払いしなければならず、そのお金は返ってきません。

【マイラ】しかも自分の家を契約に入れさせられる!保釈保障業者は、40万ドルを払って、あなたの家を担保に取ります。さらに、もしあなたがそのお金を払わなければ、「賞金稼ぎ」[保釈中に逃げた犯罪者を捜索し、警察に連行する職業]を連れて、あなたを捕まえにくるのです。

【ラファエル】わたしたちはディストピアに生きている。

【シェヘラザード】ワイルド・ウエストだ。

【マイラ】とにかく、以上が大筋ですね。そしてその後、森での「行動週間」がありました。殺害の日から「行動週間」の間、森に行くのは気持ちのいいものではありませんでした。すでに警察が占拠をはじめていました…。森の反対側には、毎日30人ほどの警察官があらわれ、一日4万2000ドルを費やして、建設を開始するエリアを確保していました。その頃、人は本当にすくなかったです。いくつかのイベントはありましたが、かなり緊張しました。監視されている感じがしました。以前はカメラや世界から切り離された場所のように感じられた森にいると、自分が辱めをうけているように感じました。本当に監視されている感じがしたのです。見られていると思いました。そして「行動週間」のはじめに開催された音楽祭で、国内テロ容疑により23人が逮捕·起訴されたわけです。

【ラファエル】そのとき他に20人ほどが拘留されましたが、最終的には釈放されました。その20人は全員が、自動車免許証にアトランタ市の住所、あるいはアトランタ都市圏の住所が記載されていました。逮捕された人たちは全員違っていて、かれらの免許証には、他の地域の住所が記載されていたのです。

Q】政府はこの「外からの煽動者」という筋書きに大いに依拠しています。それに対して人びとは、これは地域闘争ではないとくり返し応答していて、興味深いです。

【バド】この運動の間中、公園やホームレスの野営地など、さまざまな公有地を守ろうとするたくさんの行動が起こりました。そして他の場所でも、コップ·シティのような計画が持ち上がっています。この運動をたんなる地域闘争と見なすことはできません。この運動の内部でも、抗議行動の現場でのスピーチを聞くと、外からの煽動者についての語り方に変化があらわれています。「たしかにここには、間違いなくアトランタの外から来た人たちがいます。わたしたちは万人を招待しているんです」というように。ジョージア州捜査局やアトランタ警察財団などは、あまりにも見えすいた手管で、外からの煽動者をめぐる公的な語りを紡ぎだそうとしています。人びとはむしろその作為性に気づくこととなり、その結果、当局はさらに見えすいた作為を重ねています。この国の運動の未来にとって、じつに良い効果をもたらすことになるでしょう。

【シェヘラザード】つけ加えておきたいのですが、別のかたちの弾圧もありました。全米中でかなりの数の警察による戸別訪問があり、FBI捜査官から電話がかかってきた地域もあります。人びとの住居や、運動の資金集めのイベントの上空をドローンやヘリコプターが飛ぶという、典型的な弾圧もありました。当局からの接触もそうです。それらは逮捕や起訴まではいきませんが、弾圧であることに変わりはありません。

【マイラ】また、森に入りたくない人や、逮捕のリスクを避けたい人たちのために、安全な、情報提供のスペースがありますが、そうした開かれた場所にも、強制捜査や罰金といった嫌がらせがおこなわれています…

【シェヘラザード】そのひとつが教会です。ある教会では、かなりの物が壊され、身動きが取れなくなる量の規則違反が科されました。

【ラファエル】その教会を拠点に運営されている、クィアの若年ホームレスのためのシェルターには、閉鎖の脅しが…

【シェヘラザード】…かれらの運動支援にたいする懲罰です。また、これもより高次の弾圧なのですが、市長の事務所がお抱えの活動家たちを動員し、いくつかの会議に行かせ、運動を支援しているNPOや労働組合、各種グループ、政治家たちのところを訪ねさせています。関係をつくらせて、運動をボイコットするよう、集会に行かないよう、支援をとり下げるよう、説得させているのです。これはアトランタのような、ある種の恩顧的構造があるところでのみ可能な、いわば先制的な制御です。その他の場所でも、たとえばラテン・アメリカでは、全土で恩顧主義が統治の論理になっていますし、レバノンのようなところでは、宗派対立(sectarianism)は、ある種の恩顧政治によってつくられています。

Q】これまでの話は、大体わたしも知っていたり、耳にしたことがあります。それでもこの部屋で、みなさんがまさに現実の問題として話すのを聞いていると…。話していてどういう気持ちになりますか?いくらなんでも重すぎる。なんというか…、大丈夫?

<爆笑>

B】あの殺害以来、自分の限界が劇的に変わったのです。以前であれば本当に最悪だったであろうことが、ごく些細な面倒事になり、気にもとめないようになりました。誰かがわたしの住んでいる家に車で突っ込んで、家がすこし壊れたことがあったのですが、それを聞いた時も、まったく平気でした。いろんなことが起こりすぎているから、それについては明日考えよう、みたいな。

【ラファエル】わたしも同じ様な小話があります。ある時、ジョージアに住んでいない友人が、激昂して電話をかけてきました。あるアナキストたちがインターネットで、アトランタのいくつかのスペースはカルトだという陰謀論を拡散してていると言うのです。わたしはこう返しました。ちょっといいかな、いまは一緒に怒っていられない。刑務所の外にいて、同居人が出てくるのを待っているから。その話は本当にひどい。おそらく自分も明日にはもうすこし怒りが湧くだろうから、それから話そう。

【シェヘラザード】何度も、とくにこの3ヶ月から6ヶ月の間に、警察が森で人びとを追いかける時に叫ぶ言葉が、「地面に伏せろ」───全米中の警察が大好きなフレーズ───から「止まらないと撃つぞ」に変わりました。

【マイラ】「実弾が入っているぞ」。

【シェヘラザード】そう、「実弾が入っているぞ」、「お前に撃ち込むぞ」も言うようになりました。でもとくに「止まらないと撃つぞ」です。おそらくわたしを含む多くの人びとが、警察官に「止まらないと撃つぞ」と叫ばれたことがあると思います。これは進行した弾圧の形式でもあり、米国に住んでいない人たちが聞けば、おそらくとても不安にさせられるでしょう。米国の別の場所にいて、この運動に参加していない人たちも、不安にさせられるはずです。わたしも恐ろしいと思います。でも実際には、わたしは慣れてしまって、恐くなくなってしまった。人はたくさんの弾圧に慣れるものです。それは内面化された弾圧の形式であり、わたしたちはやられても、そのたびに激怒しなくなってしまうのです。弾圧はわたしたちの心を変えます。わたしたちがみずからの権利についてよりシニカルになっていくことによって、現実として、自分たちへの弾圧のエスカレートをうながしてしまう。国家は残虐なことと虐殺しかしないと待ちかまえることで、国家がそれをすることを許してしまう。森でアナキストが警察に殺されたことに対して、それに見合う反応がなかったことも、その部分なのだと思います。たしかにいくつかの行動があり、いくつかの社会的あるいは政治的な帰結が生じました。しかし見合うものではありません。それは、わたしたちの社会の多くの人たちが「そうだよ、知ってる、警察は正義を求めてたたかう人びとを殺す。だからかれらはきみたちを殺すだろう」と信じているからだと思います。わたしたちがそれを信じれば信じるだけ、それは真実になるのです。

これは極左の人びとがそうしたあきらめを広めることで加担している、脱ラディカル化の形式に他なりません。「もちろん国家は悪党だから、きみたちを殺すに違いない」と信じる方が、よりラディカルに見えるでしょう。しかしわたしは、警察が人殺しをすることをとにかく受け入れることはできないという人たちの、ヒステリックに憤慨する反応に、深く賢明なものがあると思うのです。「いますぐに何かしよう。わたしたちの権利が踏みにじられたんだよ?」。こういう人たちが、しばしばもっともラディカルな行動を起こします…。そしてこれが、過激派やアナキストたちが運動の後方で貢献をすることの多い理由なのだと思います。かれらは自分たちに権利があるとすら考えていないからです。ただ殺されないことを求めもしない。

【マイラ】いまの話を聞いて、最近あった法廷審問のことを思いだしました。そこで検察官がこう言ったのです。「この人物を逮捕したのは、腕に監獄支援の電話番号が書いてあったからであり、有罪と推定される」。これもまた別の弾圧の形式だと思います。かれらが法廷で展開するこうした語りが、かれらの為すことすべての論理的枠組みを示しています。

【バド】とくに保釈審問で、事実認定の議論をする時間もとらずに、そうしたことだけを言いつづけました。人びとの頭にはそれだけが残るわけで、それこそが狙いなのです。

【ラファエル】おそらくここで、塀の中にいる11人が直面している環境を説明するのがいいでしょう。8人はディカーブ郡刑務所にいます。アトランタと、黒人が多数をしめるアトランタ郊外の人びとが収容されるところです。2019年にはこの刑務所の生活環境をめぐって、規模は小さいものの激しい闘争がありました。8人が直面しているのは、施設のどこにいるかにもよりますが、壁のカビ、食事のカビ、天井から落ちてくる汚水です。これはトイレの汚水で、床からしみ出てくるところもあります。社会的プログラムはなく、外に出られる時間もなく、荒れ果てた、ひどいところです。

他の人たちは、フルトン郡刑務所に入れられました。ここはアトランタといくつかの郊外の人びとを収監していて、通称ライス・ストリートと呼ばれています。いまここにいるのは1人です。ここはさらにひどいです。設備がさらにひどくて、とてつもなく危険でもあります。どちらの施設でも、収容者の多くは、裁判が始まらないまま何年も拘留されています。これはほぼ違法です。これらの施設のある部分は、じつに反社会的な犯罪組織が仕切っています。居心地の良いところではありません。

2人はライス・ストリートからアトランタ市拘置所(ACDC)と呼ばれる施設に移されています。ここに長期にわたって収容される人はあまりいません。この施設は1996年のアトランタ夏季オリンピックに向けて建設されました。まずアトランタ市は、ホームレスの人たちに、行きたいところに行くことのできるバスチケットを与えました。片道切符です。そしてそれを受け取らなかった人たちを、文字どおり一掃して、オリンピックの期間中ACDCに収容したのです。それ以来、ここは軽犯罪や都市区画法を犯した人が行くところになっています。2018年頃、そのことに対する小さな闘争がありました。全米でアメリカ合衆国移民·関税執行局(ICE)に対する活動家の運動が起こった時で、ここにはICEに捕まえられた人たちも拘留されていたため、野営行動が展開されました。この闘争はICEの拘留者たちを解放することに成功しています。この施設は客観的には他の二つよりも良いのですが、無茶苦茶であることは同じで、その理由は…食事です。ここにいる人びとも制度的にはライス・ストリートの囚人なので、一日三度の食事はそこから運ばれてきます。それがぐちゃぐちゃになっていることが多い。

【マイラ】たしか1日に2回は暖かい食事を提供することが義務づけられているのですが、輸送される間に冷たくなってしまう。冷たくなっていて、ラップをかけてスチームで一緒に溶かすから、一つの大きな塊になってしまうのです。

【ラファエル】1日2食の権利があるわけですが、それは何時でもいいとされています。午前3時に2食与えられることもある。配分は自分でしろと。ですが、8人がいるディカーブ郡刑務所には、2019年の闘争のサイクルの後でも、闘志に満ちた囚人たちが間違いなく存在しています。騒音デモや、無言でおこなわれる大規模な夜間の抗議行動のような、外からの支援行動があるとき───後者の場合は時々ですが───、かれらはあらわれます。最近そこであった収監者のための夜間抗議行動/騒音デモでは、警察官たちが屋根の上にいたのですが、2人の囚人が窓を殴り割って、火のついた毛布を投げつけました。残念ながら警察官には当たらず、失敗だったのですが。

【マイラ】でも、やぶに火がついたよね。

【ラファエル】あの火を見た時、新しい発明だと、衝撃を受けました。

【マイラ】窓から飛び出す火。

【ラファエル】そう、あれは新しい発明でした。くり返しになりますが、ディカーブ郡刑務所には長くつづく闘争があります。なので、窓が割られたと聞いた時も、まあそういうものだよね、くらいの気持ちでした。以前に、120人の支援者が刑務所の外に集まって、12枚の窓が一斉に割られるということもあったので。なので、割られたのは2枚と聞いた時は、まあ大したことではないなと思ったのですが。

【シェヘラザード】論理的に次の段階は、窓から看守を投げるでしょうか。

【ラファエル】あの窓は人が通れるほど大きくないでしょう。

Q】そのままでは。

〈爆笑〉

Q】国内テロリズム罪の話にまた戻りたいのですが、合衆国における国内テロリズムのレトリックについて、より広い政治的文脈を補ってもらえませんか?

【シェヘラザード】テロリズムは、合衆国の政治において象徴的な、特別な位置をしめています。9.11のためですが、それだけでなく、他の多くの国々とくらべても、法的に幅広い領域をカバーしているのです。9.11の後、米国愛国者法と国防権限法(NDAA)が制定されました。どちらの法律も基本的には、合衆国の法的領土にいる人びとの自由とプライバシーをいちじるしく狭めるものです。それらの権利は急速に縮小し、「対テロリズム(counter-terrorism)」の予算が急激に拡大しました。このディストピア的なフレーズは国防省がつくりだしたものです。かれらは他の国では「反テロリズム(anti-terrorism)」を使い、国内では「対テロリズム」と言います。つまり…、自分たちの枠組みにしたがって、テロを遂行しているということでしょう。

合衆国において政治的/法律的には、テロリズムとは、国のきわめて重大なインフラの破壊を意味します。それはふつう、水力発電用のダム、水処理施設、電力網のような、何百万、何千万、何億の人びとが生物として存在するために、あるいは社会的再生産全般のために依拠しているものを指します。政府の建物や企業の所有物といったようなものは当てはまりません。しかしこれは過去のことで、この数年の間に、テロリズムの解釈はどんどん拡大されつづけてきました。基本的に、政治的テロリズムの枠組みは、もはやワッハーブ派/アルカイダに影響されたジハーディストだけに適用されるのではなく、次第に極右が標的となっています。実際に、合衆国で国内テロリズム罪の標的になっている人びとの大多数は、ネオナチや狂信的中絶反対主義者などの極右なのです。変電所を襲撃したり、リシンによる毒殺を試みたり、そうした狂った行為に適用されています。余談になりますが、1996年のアトランタ・オリンピックの話につなげると、中絶反対過激派のエリック・ロバート・ルドルフが、オリンピック会場を爆破しました。

とはいえ、ディラン・ルーフが黒人教会を銃撃した「チャールストンの虐殺」の後で───ルーフは世界中で起きた白人至上主義者による多数の銃撃事件に触発されたわけですが───、ジョージア州は、州の国内テロリズム法となるHB〔下院法案〕452という法案を可決しています。ディラン・ルーフの銃撃事件が2015年で…、フロリダ州オーランドの「パルス・ナイトクラブ」の銃撃事件が2017年でした[ゲイ·ナイトクラブで「イスラム国」に忠誠を誓うと宣言した犯人が銃を乱射し、50名が死亡、53名が負傷した]。このHB452が採決された理由は、以前のジョージア州国内テロリズム法に、死者数の要件があったためでもあります。つまり10人死ななければ、テロリズムとは見なされなかったのです。新しい法案は、制度的左翼にも右翼にも受け入れられたのですが、とりわけ制度的左翼は「人数の規定が設けられていたなんてどうかしていた」と言ってすすんで応じました。テロリズムはたんに特定の種類の行動とされるべきで、判断基準から結果を外して、動機と戦術を中心に置くべきであると。したがってこの法案では、きわめて技術的で厳密な定義がなされていて、重大なインフラの構成要素と政府の施設に焦点がしぼられています。そのため、テロリズムの定義はすこし拡大されましたが、いままでこのHB452によって起訴された人はいません。

だからこそ、ディカーブ郡検事のシェリー・ボストンは、実際にはただキャリアを築いて出世しようとしているだけで、これによって誰かを有罪にするつもりはないものの、合衆国最高裁でHB452が撤廃されるのをもくろんでいるのだと思います。合衆国最高裁が興味をもつ可能性はあります。現在右派が主導権をとっていて、1月6日のことがあるので、国内テロリズム法の撤廃に乗り気だからです。前大統領ドナルド・トランプの大統領職を守るために、Qアノンのような抗議者たちが偽の、象徴的なクーデターを試みて、アメリカの首都で暴動のようなことが起こり、アシュリー・バビットほか4名の死者が出た1月6日。[2021年の連邦議会襲撃事件]

FBIはこの動きに気を配っていませんが、それは現在かれらが極右をテロリズムの権化として標的にしているからです。一方、GBI(ジョージア州捜査局)は共和党に統制されていて、「アンティファ」を、あるいは何であれ、かれらが運動だと認識するものを標的にしています。国内テロリズムの定義をめぐって、捜査局間の確執があるようにも思えます。これらすべてが、最高裁で裁定されるように仕組まれているのです。まあ、最後の部分は想像ですけど。

Q】そろそろ時間ですが、最後の質問があります。みなさんそれぞれ、この森と運動において、音楽とレイヴが果たしている役割について話してもらえませんか?政治的に、かつ経験的に?

【マイラ】最初のレイヴは、森の小川のほとりだったかな?

【ラファエル】うん。

【シェヘラザード】本当に、すばらしい経験だったな。500人だよ。

【マイラ】そう。あれはすごかった。小川のレイヴ。土手が広がっているようなところがあって、砂地で、水位が下がると、こんな小さな渡場ができて…。川の高さはいつも変化していた…。小さな橋があって、片方でたき火をして。それからダンスパーティーをした。小川のなかで、砂地の土手のうえで。浜辺にいるみたいだった。

【ラファエル】雨が降ると、そこは水がくる。わたしたちは川床にいたわけです。

【マイラ】そう、そこは浅瀬で、雨が降っていない時は砂浜になる。あれは最初の「行動週間」の時で、50人が森でキャンプをしていたと思う。野営場からレイヴのところまでは、森を歩く45分のハイキングで、本当に楽しかった。

【ラファエル】むこうに光が見えて、それを頼りに進んでいった。ブンブンブンっていう音が聞こえてね。

【マイラ】そう。そしてまだ弾圧がない時だった。

【シェヘラザード】弾圧なかったね。

【マイラ】まだ何も起こっていなかった。

【シェヘラザード】左翼が運動に入ってくる前だった。

【マイラ】だからあの時点では「みんな森に来なければならない」という考えだった。

【シェヘラザード】誰もここに来たことすらなかった。

【マイラ】誰もここに来たことがなかった。わたしたちは、関心がある人は森に関わらなければいけない、ここに来て、森を体験して、感じて、聞かなければならない、キャンプもその部分であると思っていました。明らかに、レイヴに来た人たちの方がずっと多かったわけですが…。それから2回目の「行動週間」とレイヴで気がついたのは、テントを持ってきたレイヴ参加者たちがいたことです。人びとは意図的にキャンプをしたわけですが、レイヴに来た人たちは、ただ道の脇にテントを立てていました。人びとはキャンプをしたかったんです。

【ラファエル】あと、最初の「行動週間」は、活気溢れる6月の日々で、コロナもそれまでになく収まっていた。

【マイラ】たしかにそうだった!みんなとてもわくわくしていました。

【ラファエル】その1ヶ月前には、取り壊されようとしていたある場所で、バンドのライブがありました。バンドは一組で、100人弱が来ました。そのあとアトランタではしばらくなかった、ちゃんとしたライブがあって、四組のバンドが出ました。そのときは80人規模の会場に、300人が集まりました。最終的には警察が来たけど、運動のせいではなくて、おそらく騒音の苦情が入ったのかな。

【マイラ】なぜ分からないのだろう?なぜわたしたちはあの警察が来た理由を知らないのか…、かれらが〔理由を告げずに〕去ったからだけど。

【ラファエル】ああ、そうだ!観客の半分は中に残ってモッシュしていたんだけど、残りの半分が外に走り出て、ひたすら非難を浴びせたんだ。「ファック12」[〈ファック・ザ・ポリス〉とほぼ同義]みたいなものだけでなく、ねらいをさだめて、髪のうすさとか、いろいろ意地悪を言って、それからただ石とかビンを投げつづけた。そしたらすぐに去っていったんだ。

【マイラ】投げていたのは石だったと思う。

S】何百人ものパンクスたちが。

【マイラ】それに警察車両は1、2台だけだった。

【ラファエル】それ以来、音楽はなくてはならない部分でありつづけています。さっき言ったように、運動を支える基盤にはDIY音楽のサブカルチャーがあり、その文脈として、パンクとハードコアだけではなく、ヒップホップも、様々なジャンルの電子音楽も、ハウスも、インディー・ロックも、ジャングルも、ノイズもあって…。運動の資金集めのためのライブも全米各地でおこなわれています。ここでは、森やその他の場所で、あらゆる時代のあらゆるジャンルのライブが開かれています。その大きな頂点が二つあったのですが、ひとつは4回目の「行動週間」に、森で3日間の音楽祭があり、おそらく1000人近くが参加しました。もうひとつは直近の「行動週間」に、2日間の音楽祭があって、最終的には警察の強制捜査で中断させられてしまったのですが、ラジコン・サーキットの西の端に1200人から1500人が集まりました。そこは木のすくない開けた場所で、木立に抱かれた小さな半島のようなところです。「サウス・リバー音楽祭」もそこでおこなわれました。一番の有名どころだと、Spotifyの集計で1ヶ月に200万以上のリスナーがいるようなアーティストが来て、他にも、たくさんのリスナーのいるアーティストたちが来て、最高でした。

【マイラ】あれが2回目の「行動週間」だったか、3回目の時だったか思い出せないのですが…、音楽が本当にすばらしかったことがあります。複数のジャンルの音楽をやるライブがあって、その後に、みんながもう一度設営をしてライブをはじめたのです。そこは森の中の「最後に残ったDIY会場」と呼ばれました。木々に囲まれたその場所は、のちに「リビング・ルーム」として知られるようになります。

【バド】多くのアナキストたちが、意識的あるいは無意識に、政治的な生と社会的な生を分けていると思います。わたしたちはそれをしないように、多大な努力を重ねてきました。アイデンティティ・ポリティクス的関心の外に出ることはもちろん、わたしたちがこの運動の部分になってほしい、そして人びとを運動に巻きこんでほしいと思っているような、さまざまなサブカルチャーからも脱け出そうと、本当に意識して努力したのです。音楽サブカルチャー界をはるかにこえて、違う集団の人びとに届くように。その方向に進もうというひとつの大きな決意があったわけですが、人びとはもともと実際にそうしたサブカルチャーに属してもいました。なので、それは押しつけられたものではありませんでしたし、押しつけられていると感じたこともないですし、そうするのが本当に当然のことに思えて、すばらしかった。

【シェヘラザード】わたしたちには新しい理念が必要で、わたしたちはそれを音楽からえています。過去10年間、たくさんの闘争が、惑星的に共有されたひとつの知性を表現してきました。「あるひとつの怒りをもとに、組織化されていない人間の大部分が、都市の中心に、広場に、商業地区に自然発生的に押し寄せる。そしてその一体となった推力が、また別の屈辱をめぐるたたかいを立ち上げるような、新しい社会的諸形式を創造する」。これが、人類があまたの国で何度も反復してきた基本的な理念であり、チュニジアとエジプトからはじまって、その他の多くの場所に広がりました。この理念に反応して生じた別の理念もあります。たとえば、より小さな、野心に欠ける「領土的」理念、あるいは「場所に根ざした」構想。それらは体制変換をあきらめ、その他の多くのことを可能にするような、断片的な理念として、みずからを組み替えています。こうしたすべての理念は、じつに様々なかたちでみずからを表現してきました。わたしたちには新しい理念が必要であると、本当に思います。これらすべての理念はうまくいかなかったからです。あるいは、うまくいったのかもしれませんが、人びとが終わらせることのできない内戦や、望ましくない新しい独裁の形式を生みだしてしまった。結局それらは、日々生きられる経験を変えるどころか、実質のある改革にすらつながりませんでした。

人びとは新しい理念を見つける必要があります。しかし、反省や理念の生産に基礎をおくような思考の領域に、新しい理念を見つけだすことはできません。政治も新しい政治的理念を生みだすのに役立ちません。そこで、音楽なのです───わたしたちは音楽的なものにしっかりとつながっていて、そして人びとは理念を考え出す必要がある。そのためには、どうにかして、本気で、政治の外に手を伸ばさなければならないでしょう。それも、中世の演劇やそういったもののシニカルな流用ではなく…。というわけで、この運動はわたしたちに多くのものを本当に与えていると思います。それは部分的には、わたしたちが分かち合っている経験のためですが、それだけでなく、人びとがわたしたちにこうした音楽的経験をもたらしているからなのです。

(終わり)

Footnotes

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